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               ■ 怒涛のスーパーカーブーム  その7 
                 
               今思うと、なんであんなに子供達が、たかが車に大騒ぎしたのか、不思議な気がする。 
                だってそうだろ、いくら興味があっても、免許もないのだから、運転できるわけないし、勿論、子供に買えるような車でも無い 
                わけだから。 
                 
                それに、いくら子供が動くものが好きと言っても、なぜあんなに大勢の男の子が(大半がそうだろう)あの時に限って夢中に 
                なったのか、不思議だ。 
                今だって、F50や、モデナ、デアブロといった、スーパーカーらしきものはあるじゃない。 
                てことは、やはり最大の原因は、その6に出てきた池澤さんの漫画、サーキットの狼ということか。 
                 
                例えば、今なら、仮にモーニング娘が主人公の漫画が大ヒットして、現実の生身のモーニング娘を一目見ようと、コンサート 
                に押しかける、そのようなものか ? 
                 
                だから、現場にいた私たちにとって、始めはなんで子供が日曜日のたびに、ショールームに集まってくるのか理解できな 
                かった。 
                お客が押し寄せるのならともかく、子供が大勢きてもなんの足しにもならない、むしろ営業の邪魔だから、さっさと早く帰って 
                くれ ぐらいの気だった。 
                 
                そのうち、平日の夕方、学校帰りにも、熱心なファンは通ってくるようになる。 
                こっちも、ショールームの外側で、1時間も立っていられると、気になって、「お前どの車が好きなんだ ?」 と呼びいれて、 
                ドアーをあけて運転席に座らせてあげたりもする。 
                リクエストは、たいがいカウンタックだった。 
                 
                  
                 
                  
                 
                そのうち、よほど漫画のほうが人気がでたのか、日曜日のたびにおし寄せる子供と付き添いの大人の数が無視できないほど、 
                ふくれあがり、なんかの観光名所のようなかんじになってしまった。 
                 
                そのころは、日曜日も営業していたので、たまにお客がスーパーカー?で乗りつけると、スターに群がるファンのように、 
                みんなフラッシュをたいて写真をとるのだった。 
                 
                そこで社長の発案で、玄関で当時私の友人の市瀬というカメラマンが、撮った生写真を販売し、入場料がわりにして、 
                ショールームを見学させるという、今思えば笑ってしまうようなことを始めたのだ。 
                例えばコーンズがそんなことをするか ? 
                 
                  
              上の写真が其の時売っていたもの。両方私が売った車で、右の「イオタ」は、本物かどうかは別にして、まだ車が新しく、 
                乗ってもバランスがよく、べらぼうに早かった。 
                シーサイドのテストコースの第3京浜であっというまに、230キロくらいでた。 
                未だに始めのオーナーのもと、神戸にあるという。 
                 
                でも社会現象というものは恐ろしい力がある。 
                そのうち天下のNHKまで取材にきて、TVニュースにまでなってしまった。 
                かの巳晴さんは、そういうのを楽しんでいたようだった。 彼は子供にもやさしかったから。 
                でも世の中には鋭い奴も居る。これを単なる子供のブームとしてではなくビジネスチャンスとして捕らえたのだ。 
                 
                始めに、サンスター歯磨きの会社がやってきて、うちとタイアップしてスーパーカーショーをやりませんかというのだ。 
                内容は、歯磨きの箱に付いている、応募シール3枚を送ると、抽選で入場券が当たるというものだった。 
                この企画で、サンスター歯磨きはめちゃくちゃに売れたらしい。 
                必要も無いのに2個も3個も買ってくるもんだから、お母さんはさぞかし困ったことだったろう。 
                 
                次は文房具のメーカーだった。ノートや下敷き、消しゴムなど、ありとあらゆる文房具にスーパーカーの写真、あるいはロゴを 
                使用させてくれ、というものだった。 
                本当ならイタリヤの本社にお伺いでもしなければいけなかっただろうが、其の時は、巳晴さんの 「かまわしねえ」 の一言で、 
                どんどこ ロイヤリテイを巻き上げたのだった。 
                  
                さて、ついにサンスターと、タイアップした、スーパーカーショーの当日が来た。 
                場所は、東京の晴海ふ頭にあった、展示会場だ。 
                といってもそこはモーターショーの会場でもあるように相当広い場所だ。そこのドーム館という丸い会場で、車を並べたわけだ。 
                我々営業部員は前日から、車を搬入し、近くのホテルに泊まっていた。 
                 
                次の朝起きて下のフロントに行ってみると、サンスターの担当が騒いでいる。 
                1周すると1、000メートル以上ある、会場の周りを子供が列をなして取り巻いているというのだ。 
                 
                それが、その後全国各地で催されたスーパーカーショーの始まりだった。 
                 
                    
                 
                  
                 
                上の写真が其の時のもの。左上はマセラッテイ カムシン。右上はカウンタック ウルフ仕様。 
                下が、例のオレンジのLP400.写真提供はランアンドランという、板金塗装ショップを営む関口さん。 
                彼は、スーパーカー小僧の夢を捨てず、上の3号車のLP400をとうとう手に入れた。 
                子供の時、あこがれた車そのものを、20年たって自分のものにしたという、本当にdream come trueの人だ。 
                 
                  
                 
                上の車が同じ車。2005年のイベントで、関口さんに持ってきてもらった。 
                怒涛のスーパーカーブーム  
              
                 
                 
                 
                 
              
                
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