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               ■ 350,400GT  1964年から1966年 390台 
                 
                  このあたりになると、ランボルの場合、動く化石みたいなもんだ。フェラ―リに比べると、どうしても、 
                  エンジンが重い。 しかも、悲しいかな歴史の無さが、もろにでて、車の完成度が低い。 
                  現在はランボルのコレクターにしか、相手にされない車だろう。 
                 
                 
                ■ ミウラP400   1966年から1971年 765台 P400からSVまで。 
                 
                  スタイルは申し分ない。私個人もこの車の、サイドからの眺めはあらゆる車のなかでNo1と思う。 
                  エンジンもそれまでの、フロントエンジンモデルよりも、はるかにまし。フリクションが軽いという 
                  イメージ。 
                 
                  インテリアはいかにもという、デザイン。スイッチ類はオーバーヘッドコンソールにあるため、使い 
                  ずらい。全体的には、フェラーリが、サラブレッドなら、特にこの、ミウラはNo1 の闘牛と言う感じだ。 
                  とにかくすべてが、荒っぽい。だから、乗り手には、車に負けない、荒っぽさ?が必要となる。 
                 
                 
                ■ エスパーダ 前期、後期型  1968年から1975年 122台 
                 
                  有名な、ショーモデル、マルツアルからデザインを、取って生まれたのが、この、エスパーダだ。 
                  生産は1968年から始まっている。この車は、外観はほとんど、最終モデルまで、変わらなかった 
                  が、(ホイールがセンターロックから、ボルとへ)インテリアは、相当変化した。 
                  もっとも初期のタイプは、メーターナセルが、G角形のハニカムタイプで、えらく、モダンなデザイン 
                  だった。 
                 
                  運転すると、フロントノーズがやけに長く感じ、全体的に、長い車というイメージ。とりまわしは、ステア 
                  リングのギヤ―比も、スローで、スポーツカーとは、程遠いものだった。ハンドル切ると少し遅れて 
                  ノーズがよっこらしょと動く感じ。 
                 
                  エンジンは、伝統?のV12なのだが、フェラーリと比べると、フリクションが大きく、重い吹けあがり、 
                  レスポンスは悪かった。私はこの車に、10台以上、新車も含めて乗ったけれど、どれもそういう感じ 
                  だった。 
                  最後には、オートマ仕様もでたが、これが最悪で、アクセル踏んでも、トルコンスリップが大きく、 
                  スピードに、乗るのに一苦労というしろものだった。 
                  イメージとしては、今で云うベンツのステ―ションワゴンだったのだが、スタイル、インテリア以外は 
                  どうしょうもない車だ。 もっと軽量、小型だったら違っていたかも。 
                 
                 
                ■ ヤラマ  1970年から1975年  327台 
                 
                  私が初めて見た、スーパーカー?と言えるのが、このやラマだった。学生の時、たまたま、横浜の 
                  シーサイドモーターの前を、通りかかり、道路沿いに無造作においてあった、 
                  この車を見た時の、感激は今でも覚えている。なにしろ、その頃スポーツカーといえば、六本木の 
                  アトランテックで見れた、ロータスヨーロッパぐらいのもんだったからだ。 
                 
                  私はポルシエには、全然興味がなかった。時は1973年の事だった。翌年の4月に私はこの会社に 
                  入社する事になる。 
                 
                  私が営業の1線で活躍し始めた時、赤のヤラマがあった。エスパーダと同じく、重いボデイに重い 
                  エンジンときていたから、でたり、入ったり、要はお客が買っても、長つずきしないのだ。 
                  印象としては、戦車みたいな車だなと。私個人として、けして好きな車ではなかった。 
                 
                 
                ■ P250ウラッコ  1970年から1975年 793台 P250からP300まで。 
                 
                  私がシーサイドモーターの、営業として初めて客に売った、イタ車が、このウラッコだ。しかも当時、 
                  ニューモデルとして入ってきたばかりの、新車だった。 
                 
                  1975年の3月ごろと記憶している。色はメタリックのグリーン。この車は、前年の1974年にも2,3台 
                  ほど入り、あの、石坂浩二さんにも、買っていただいた。始めて見た印象は、小さくて日本向きだなと。 
                  デザインもかわいいし、2+2のインテリアも、なかなか良いなと。ただ運転してみると、新型設計のV8 
                  エンジンはいかにも重く、苦しそうなふけ方をする。 
                 
                  たとえばこれのライバルでは、ポルシエのカレラがあったわけだが、もう全然話にならないぐらい、 
                  レスポンスが悪く、なんだこりゃと思った。おまけにリモートのシフトは、やけにストロークが長く、はいり 
                  かたもしぶい。 
                 
                  デイノと比べたら、雲泥の差だった。(だからデイノは今でも名車なのだ。)ハンドリングはまあまあ。 
                  とりたてて、抜群というほどでは、なかった。おまけに、ヘッドランプのリレーがおかしく、リトラクタブルが 
                  かってに、おじぎをするし、パワーウィンドウがすぐにこわれて、だめになるし、やっぱり、ランボルはこう 
                  なんだと、思ったしだい。 
                 
                 
                ■ LP400 カウンタック 
                 
                  詳しくはカウンタッククラブを見よ。 
                 
                 
              ■ シルエット 
                 
                  この車は、ウラッコをベースに、作り上げた、タルガトップのモデルだ。当然 ? 剛性は最悪で、びしびし 
                  ボデイはしなるし、雨が降れば、ぼたぼた水が、上から漏れてくる。 
                 
                  ただ、エンジンは3リッターになって、4カムになったせいか、ウラッコより、はるかにましだった。 
                  それでも、ゼロ400、15秒くらいの感じで、音ばっかりで、前に進まないという車だ。 
                  わずか、50台で、生産打ち切りになってしまった。エンジンの整備性、耐久性を考えても、物好き以外は、 
                  手を出してはいけない車。 
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